日曜日, 6月 22, 2008
笹生 実久 LIVE IN KUSHIRO雑感2
彼女のMCは、男女問わずうけていた。
この辺は、ベテラン。
そのMCの中に映画「最高の人生の見つけ方」が出てきた。
これは、以前HIROSHI先輩も書いていたが、俺としては敢えて話題にしなかった映画。
理由は、親父が肺ガンで症状で言うと3Bという末期の4 一歩手前で診断されたから。
それまでも、何度も煙草を吸いながらおかしな咳をし、俺に「その咳は、おかしい。」と言われても止めずに、映画同様血痰で判明したところまで同じ。
ただ、親父には告知をし、我が家で普通に生活をしながら対症療法の時にのみ、入院という方法を採っていた。
映画ではニコルソンとフリーマンだけど、現実は親父と俺。
無くなる直前に山へ行き、「今度埋まったら、自力で脱出するのにハンド・ウィンチをかわないと・・・」と言っていた親父を「ああ、治ったら買ってやるから心配するな。」と応えていたのが俺。これが死ぬ三日前。
今でも思うのが、闘う気力のある奴には告知が必要だと言うこと。。。。俺も告知をして貰い、映画のように余命の中でチェックリストを消し込みしたいと思う。
笹生のライヴで思い出した、親父との記憶。。。発見から亡くなるまで2年9ヵ月。
この辺は、ベテラン。
そのMCの中に映画「最高の人生の見つけ方」が出てきた。
これは、以前HIROSHI先輩も書いていたが、俺としては敢えて話題にしなかった映画。
理由は、親父が肺ガンで症状で言うと3Bという末期の4 一歩手前で診断されたから。
それまでも、何度も煙草を吸いながらおかしな咳をし、俺に「その咳は、おかしい。」と言われても止めずに、映画同様血痰で判明したところまで同じ。
ただ、親父には告知をし、我が家で普通に生活をしながら対症療法の時にのみ、入院という方法を採っていた。
映画ではニコルソンとフリーマンだけど、現実は親父と俺。
無くなる直前に山へ行き、「今度埋まったら、自力で脱出するのにハンド・ウィンチをかわないと・・・」と言っていた親父を「ああ、治ったら買ってやるから心配するな。」と応えていたのが俺。これが死ぬ三日前。
今でも思うのが、闘う気力のある奴には告知が必要だと言うこと。。。。俺も告知をして貰い、映画のように余命の中でチェックリストを消し込みしたいと思う。
笹生のライヴで思い出した、親父との記憶。。。発見から亡くなるまで2年9ヵ月。
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