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水曜日, 4月 16, 2008

葉桜と日本




先月28日。


新宿中央公園のベンチで研修前に佇んでいたら、見てる間に桜の花びらが ひらひらと 舞い落ちる。


釧路では、来月中旬の蝦夷山桜の開花までに時間があるが、


ベンチに偶然落ちてきた桜の花びらを見て、気付いたことがある。




櫻というのは花びらが散っても、花の本体・・・・蘂(しべ)※おしべ・めしべ の しべの事。


この蘂は萼に(がく)に付いていて残るのが本来の姿。その状態を葉桜というわけ。


花弁が散った後、暫くして、「蘂」は一斉に舞い落ちる→春の季語として「櫻蘂降る」と使われてもいる。




日本人の感性の素晴らしいところは(果たして今の日本人にどれだけ残っているかは、判らないけど)潔い散り際の美学だけでなく、その後の葉桜にも美を見いだす事が出来ることだと思う。。。。これ四季の湿原に踏入、季節の変化を見てると僅かな変化にも気が付くのに似ている気もする。




「櫻蘂ふる一生が見えてきて」(岡本 眸)




何故、長々と書き連ねたか・・・と言うと、ベンチに落ちた花びらを見ると、花びらに萼も蘂も柄も一緒にぼとりと落ちたのを偶然見たから。


日経新聞の先週の記事か何かでも、その事象が書かれてたのを思い出した。




花弁が散り、次に蘂が降り、続いて若葉が光り、果実が熟するのが自然の流れであるのに・・・何かがおかしい。


まるで、日本の社会がそうであるように。


国の政策は、その場凌ぎで次の展開が見えず


ねじれ国会で、今までの方法が通じないなら、与野党で全く新しい方法を模索する時期に入っているのに、


旧態依然の方法を踏襲しようとしている。




このままでは、櫻の花が丸ごと落ちるより、日本という木の幹からポッキリと・・・・折れてしまうのでは。


このように書いた内容に納得出来る人も、それなりにいるのではないかと思う今日この頃。




今朝は、犬と行動をする時に使用する革手袋で昨日、目を擦ったことが災いし左目の瞼が試合後のボクサーのようで


テンション下がりまくり。。。


さて、お客様の法人へ伺う事にするか・・・冷やかされるのを覚悟して。

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